「震災後元年」の今年ですが、東日本大震災から1年を経て我が国は何か変わったでしょうか。被災地では多くの命が失われ、それまでの生活は一変し、放射能汚染で故郷へ戻れない人々もおり、その労苦を偲べば「何か変わったか」などとのんきな発言をすること自体が不謹慎でしょう。
しかしながら「復旧ではなく復興だ」と掛け声はかけても、政府の対応は旧態依然で歯がゆいばかりですし、がれき受入れに対する各自治体の反応も、昨年来もてはやされた「絆」の実態はこれだったのかと興ざめする思いです。あれほど大きな犠牲を払った代償として、今こそ日本人の生き方――とくに戦後の物質優先・自己中心に偏した精神――を抜本的に見直す好機と言われながら、具体的な変革は未だに見えて来ません。
戦後6年半に及ぶ占領軍の統治から、ようやく独立を回復したのは、昭和27年4月28日のことでした。その直前に昭和天皇は「平和条約発効の日を迎えて」と題して次の2首をお詠みになりました。
風さゆるみ冬は過ぎてまちにまちし八重桜咲く春となりけり
国の春と今こそはなれ霜こほる冬にたへこし民のちからに
戦争は昭和20年8月15日で終わり、それからずっと平和の日々がめぐってきたというのは大いなる錯覚で、言わば日本解体の掃討戦――日本人の誇りの剥奪、歴史の断絶、伝統的価値の失墜――はGHQの名のもとに着々と継続されたのです。その苛烈さを昭和天皇は「風さゆるみ冬」(寒風吹きすさぶ冬)と詠まれ、今こそは長かった占領期が終わり「八重桜咲く春」爛漫を迎えたと、主権回復の喜びを表現なさったのでしょう。そして二首目は「霜凍る冬に耐えてきた国民の力によって」自主独立の国の春を謳歌出来ると信じておられたのです。
しかし、憲法も教育も国防も、何一つ「これこそ、歴史と伝統に裏打ちされた自前の国策」と内外に示せるものがないまま、丁度60年が経過しました。改めて「震災後元年」、政界再編にも期待しつつ、同時に私たちは出来る分野から、真の独立回復を目ざして参りましょう。
中経協は年来の懸案であった組織の改変・機能の明確化を、昨年度から実施に移しました。2年目の今年度、(社)福岡中小企業経営者協会は、会員諸氏に一層わかりやすく、参加しやすく、役に立つ事業を提案し、実行して参ります。そして同時に、福岡の明日を、ひいては日本の将来を物心両面で牽引する発信基地でありたいと念願します。
(重要な課題)
平成24年5月
一般社団法人 福岡中小企業経営者協会
会長 山口 秀範