福岡県市民教育賞

一般社団法人 地域企業連合会 九州連携機構

地域社会教育賞 受賞

平田母乳育児 コンサルタント 院長 平田 喜代美 氏

1.受賞された活動をはじめたきっかけ、また課題をどう捉えたか。

 昭和35年頃までは家庭で出産し母乳育児は当たり前でしたが。昭和40年頃から病院での出産が当たり前になり、出産後母と子は離され赤ちゃんたちは新生児室で人工ミルクを与えられ、3日目に母乳を与えようとしても、すっかりゴムの母乳で簡単に、飲むことをインプットされ又母親はご馳走を食べてガチガチのおっぱいはマズクて飲めないと赤ちゃん達は泣き叫ぶか又は寝たふりをして飲んでくれなくて、病院が勧める人工ミルクへと移行して行きました。その後小児科には腎臓病やアレルギーが増加し巷では家庭内暴力や登校拒否等が増加してきました。人間が人間のお乳で育ち母と子のきずなを強めることが失われてしまった事と無関係ではないのではとの思いから三年がかりで傷まず必ず出る桶谷式乳房治療手技の認定を受け昭和56年に母乳育児コンサルタント、(おっぱい110番)を開業し人間が人間のお乳で育てることの大切さを指導しながら、同僚の助産師たちには毎月母乳育児研究会で勉強をし、母親たちには無免許の母親は暴走族よりも恐ろしいとの思いから1992年から育児大学講座を開校し母乳育児の素晴らしさを教育し、後輩の指導としては助産師学校の非常勤講師として又実習場として受け入れ指導しています。

2.実行するうえで苦労されたこと、工夫されたこと、エピソードなど

 自宅で出産していた1950年頃までは、98%が母乳育児で育てていたのですが終戦後急速に母乳育児が衰退し1970年は最低の31.7%に減少してしまいました。一度失った物を取りかえすことは百倍も千倍もエネルギーが必要です。今ようやく42%になっていますが戦前の98%に戻す事は至難の業と言わざるを得ないくらい困難の連続です。産婦人科ではいまだに人工ミルクで当たり前、退院時人工ミルクのお土産を沢山もらいますし、その後の乳児検診に行くたびに平均から少しでも体重が少ないと人工ミルクを与える指導をされ、どうすれば母乳が出るかの指導はまったくなされませんし母親が母乳で育てたいといえば子供を殺す気かそれでも母親かと一喝され落ち込んで人工ミルクになってしまします。その結果母親たちは乳癌の増加とは無関係ではないと思います。そこで1992年から育児大学講座を開校し、色々な専門の先生方に協力して頂き母乳育児がいかに大切であるかということを教育し、夫や祖父たちも受講してもらい家族の協力を得られる様になり、母親たちも勉強することによって本物は何かが理解できる様になり、検診時何と言われ様が自分の信念で母乳育児を続けられるように成長して行きましたしその赤ちゃんたちが成人して又赤ちゃんを産んで二代目が沢山来院されています。

3.実行を通して波及した効果・影響など

 全国津々浦々のどこでもだれでもがこの母乳育児の指導と手技を受けられるようになってほしい!!という思いから開業して一年目には母親たちが自発的に「福岡おっぱい母の会」、二年目には「アレルギーの子供たちを守る母の会」が発足し、悩める母親たちの相談相手になったり、ニュースを発行したり講演会を企画したりで活発に活動して私たちを支えてくれましたし、その後地域で子供会の会長や役員を引き受けたり幼稚園や保育園や学校ではPTAの役員を積極的に引き受けて人の嫌がる役を引き受けてイキイキと活動してくれていますし又地域での子育てサークルを立ち上げたり、色々な公民館等の地域での活動も引き受けて頑張ってくれています。それは、育児大学でレポート提出を義務付けたり、育児大卒業後、ゼミコースで①発酵食品グループ(味噌や梅干し、たくわん、ぬかづけ等を実践)②薬草グループ(薬にすぐに頼らず身近な野草等での手当等を学び実際に春の野草づみ、秋の野草づみ、野草の料理法等々)③情操グループ(ほんの読み聞かせ、手作りオモチャ、リフォーム服作り、布草履つくり、手遊び、野外遊び、キャンプ等)を一年間企画活動し、卒業論文集を作成し、発表し、卒業という実践活動しながら母乳育児に自信がつき、個人個人が持っていた特技を発揮することを学んだと思います。母親たちは自分の変改にとどまらず、周りへの変改にも影響を及ぼしています。

平田母乳育児 コンサルタント 院長
平田 喜代美 氏

1942年生まれ、1965年九州大学医学部助産婦学校を卒業し国立福岡中央病院に就職し、1981年平田母乳育児コンサルタント開業(西日本初の桶谷式母乳治療手技)、助産師学校の非常勤講師と実習場(九州大学、福岡県立、国立九州医療センター、聖マリア、水巻病院)1992年育児大学講座を開校。出版物(おっぱい110番、マンガ、CDその他)福岡県知事賞その他受賞、1999年からタイの恵まれない子供たちの教育里親のボランティア活動。