福岡県市民教育賞

一般社団法人 地域企業連合会 九州連携機構

教育者奨励賞 受賞

福岡市立三苫小学校 教諭 的場 典子 氏

1.受賞された活動を始めたきっかけ、また課題をどう捉えたか。

「子供たちだからこそ、本物に出会わせなければならない。」写真ではない生きて動く命、本気の教師、真剣な教材研究です。ある日、1年生の子供たちが種から育てたアサガオの花を絵に表す時「アサガオのお花の命は、7歳のあなたの眼を通して、指先から2つの命がいっしょになって絵になるんだよ。」1年生にはちょっと難しかった私の言葉でしたが、アサガオという本物を目の前にした男の子は、花とはっぱをばらばらに描いた自分の絵にくきを描き加えてアサガオの命をつないでいきました。
 この男の子の様子を、授業後私に伝えてくださったのは、当時の教頭先生でした。「あんな難しいこと言って1年生にわかるっちゃろかって思いよったけど、子供はわかるっちゃね。花とはっぱの緑のパスでずうっとつないでいったよ。」ハッと気づかされたのは、私でした。男の子に届いたのは本物の命でした。自分で育てたアサガオの花をクラス全員で体育館に持ち込んで、跳び箱やマットなど遊び道具もひっぱり出して自由に作った遊びの場は「アサガオ遊園地」。アサガオの花が体育館のあちこちに咲く中で、ひとしきり遊んだ子供たちに用意した次の学習は図工の絵「ようこそ、ぼくのアサガオ遊園地へ」その図工の時間に見せてくれた一つの姿がさっきの男の子でした。男の子の一瞬の編尿を見逃すことなく伝えて下さった教頭先生の言葉が「本物だから子供の心にまで届く。」ことを認識させてくれました。
 それからは、私も意識して「本物との出会い」「子供の心の琴線に触れる出会い」を学びの栄養源として学習活動をデザインしてきました。志賀島の子供たちにとって、当たり前にある漁船の風景、海を生業とする近所のおいちゃんの綱を整える姿、干物をつくる手裁き、そのどれもが「生きている本物」です。ただ私たちはその当たり前の本物に気づかずにいます。気づきのきっかけが教育です。

2.実行するうえで苦労されたこと、工夫されたこと、エピソードなど

 本物と触れ合いながら学びとる学習には、いつもハプニングがつきもの。志賀島で5年生の子供たちと学んだ時の本物の命は学校で飼っていた「七面鳥」でした。大きくて赤いとさか、美しい羽根の色つや。飼育委員会の子供たちは、毎日の自分の仕事を絵にすることを迷わずに決めたようです。その七面鳥を飼育舎から出し目の前でスケッチした後に戻す時のことでした。七面鳥は子供たちや担任の誘導とは逆の方向に飛び跳ねながら逃げて行きました。逃げたところは、海まで50メートルもない距離にある飼育舎裏の川。その光景をみたとたん、担任だった私の頭からは放課後の職員会議は吹っ飛んでしまいました。10人の子供とさっさとお別れを言い川の中をそーっと追いかける担任。七面鳥も命がけです。つかまるまいとさたに海へ海へ、そして、とうとう湾の中を白鳥のように泳ぎ始めたのでした。「学校の財産が・・・始末音?懲戒処分?」脳裏に浮かぶのは、こんなテロップばかり。
 その時湾の倉庫前で網を修理していた漁師さんに「どなたか船を出してくれる人を知りませんか?学校の七面鳥が・・・。」すぐさま、その漁師さんは「おれが出しちゃろう。」15分程して湾内に現れたのはポッポッポッとケミリを出す二人乗り位の漁船。その間、七面鳥は更に岩場に・・・。「もうあきらめよう。」と思った頃職員会議を終えた校長先生や教頭先生、そして「今度は何をやらかしたとね?」と楽しげな公民館長さん。担任が頼んだ漁師さんは、どうも島の重臣だったらしく、その後も漁協組合長さん、果ては「だっこちゃんば呼ばな。」と潜水夫の方まで・・・。七面鳥一羽のとり物騒動はその日の島の晩御飯の一品となったそうです。結局、七面鳥はその日捕まえることは出来ず、担任も鳥を逃したことで処分を受けることもなく・・・。のちに、この七面鳥をモデルとした子供たちの絵はコンクールで入賞することができたというおまけがつきました。
 本物との出会いの場ならではの思い出です。

3.実行を通して波及した効果・影響など

 本物と出会う学習を意識して子供たちとの毎日を精一杯取り組んでいた私の実践が、どれ程に、波及効果があったのか、申し訳ないことに、数値化するデータを持ちあわせていません。まして、精いっぱいやったからと言って出会った子供たち、保護者の方だ他、若い先生方に良いものを伝えることが出来たのか難しいものです。精一杯の取組と結果は別です。逆に精一杯だったからこそ、周りの方にご迷惑をかけたり、不快な気分にさせたりしたことを振り返ると恥ずかしいばかりです。
 でも、失敗だらけの精一杯の日々で出会った先輩や上司の方々の折々のご指導の言葉が今の自分の支えとなっていることは確かです。その恩返しとして若い先生方へ、その言葉の数々を鏡となって伝えていくことで波及していきたいと思います。
 本校の校長、原田典明校長先生の「仕事は一生懸命やれば失敗しても大丈夫。素直さが大事だ。信じとうけん。でっ、どうしたい?」
 私たち三苫小学校の職員は、朝に夕に校長先生のこんな言葉と笑い声を勇気にして進んでいます。
 小学校の教師として歩いていく心の核を植え付けて下さった先生、中村和先生の「一年間、あなたをみていて仕事の出来はともかく、毎日夜遅くまでやってきて健康でい続けたことは、教師として合格。」30年前のこの言葉に今も胸が熱くなります。
 今年25歳になる教え子が大学3年生になった時、突然、大阪から帰ってきて私に尋ねた事は「先生は、ぼくが6年生のころ、先生の子供が僕みたいに育ってくれたらいいなって言ってくれたね。僕の良い所ってどこやったと?」と忘れずに自分を支えてる言葉にしてくれていたこと。苦しい時に、戻ってきて、打ち明けてくれたこと。自分の一言の重みを教えてくれました。
 そして「先生、ちゃんと教頭先生できようとね?」と学校によってくれた志賀の子供たち、すべての感謝は明日出会う子供たちへの言葉となっていくことが実践の影響です。

福岡市立三苫小学校 教諭
的場 典子 氏

1958年生まれ、美術を専攻。中学校美術教師を目指した採用試験の失敗がきかっけで福岡市の九州産業大学・九州造形短大のデザイン科研究室の助手として勤務することに。
テキスタイル(染色)作品を制作しつづけた3年間、多くの先生方にごご指導いただく。城秀男先生、小川泰彦先生、高巣典子先生、今野啓子先生、釜我敏子先生、丸山陽子先生、作品制作と共に教師としての心構えや心豊かな生き方を見せて頂く。新工芸、光風会出品。